年 月 日 |
内 容 |
昭和49年 5月 2日 |
社団法人 鳥取県ビルメンテナンス協会を設立した。
場所 米子市角盤町3丁目165番地
正会員 10名 |
昭和51年 3月 6日 |
会長辞任に伴う役員改選、これにより協会事務所を鳥取市扇町13番地へ移転した。
正会員 10名 |
昭和60年 7月 5日 |
通常総会で、「理事5人」を「理事5人以上、7人以内」と決議した。
正会員 17名 |
昭和61年 5月13日 |
臨時総会で、予てから検討してきた全国ビルメンテナンス政治連盟への加入し、協会と
同様なメンバーで鳥取県ビルメンイナンス政治連盟とすることを決議した。
正会員 17名 |
平成元年 6月22日 |
通常総会で役員改選を行い、これに伴い協会事務所を米子市西福原707番地に移転
した。
正会員 17名 |
平成 2年11月20日
~21日 |
中国地区5県から選抜された選手により、全国ビルクリーニング技能競技会に同地区の
代表として出場する予選会を兼ねて、ビルクリーニング技能競技中国大会が開催される
ことになり、その第1回目が広島市の県立産業会館において開催された。 |
平成6年度から7年度 |
従来から協会事務局は会長会社の事務所の一角を間借りして業務を遂行してきたが、
会員の総意を踏まえ事務局設立準備委員会を立ち上げ、単独の事務所を設置するよう
準備作業を推進した。 |
平成 9年 7月12日
~9月28日 |
境港市竹内団地で開催された山陰・夢みなと博覧会において、当協会の西部会員13
社が共同で清掃作業を受託し、前準備・後整理作業を含めて受託金額7,750万円の
作業を完遂した。 |
平成10年11月11日
~12日 |
第5回ビルクリーニング技能競技中国大会が、米子コンベンションセンターで2日間に
亘って行われた。 |
平成12年 4月25日
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長年の懸案事項であった協会事務所が、米子市弥生町2番地(JR米子駅前)に単独
の事務所として移転した。
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平成14年11月25日 |
中国地区全体協議会を三朝温泉花屋別館で開催し、「ビル衛生管理法に係る政省令
の改正について意見交換を行った。
参加者 全協・地区本部・各県会員 56名
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平成15年 7月30日 |
監事2名中1名を部外監事とするよう主務官庁から指導を受け、通常総会で任期満了
に伴う役員改選に併せ、1名の部外監事を選任した。
正会員 24名
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平成16年11月24日
~25日 |
中四国ビルメンテナンス合同連絡会議を大山ロイヤルホテルで開催し、指定管理者
制度について意見交換会を開催した。
参加者 全協・中四国会員 85名 |
平成18年 6月30日 |
現施設の老朽化のため、協会事務所を米子市弥生町2番地から米子市西福原4丁目
10-6番地へ移転した。 |
平成18年 8月24日 |
中国地区全体協議会を皆生温泉つるやで開催し、指定管理者制度に関するビル.メンテ
ナンス業界の対応と課題について意見交換を行った。
参加者 全協・地区本部・各県会員 54名 |
平成20年10月 8日
~9日 |
節目となる第10回ビルクリーニング技能競技中国大会が、米子コンベンションセンター
で2日間に亘って行われた。 |
平成22年11月10日 |
協会設立35周年記念祝賀会を開催し、公益法人制度改正に伴い一般社団法人 鳥取
県ビルメンテナンス協会へ移行することの周知を図った。
参加者 来賓・会員 91名
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平成23年10月 5日 |
中国地区全体協議会をホテルサンルート米子で開催し、東日本大震災を踏まえ、中国
電力(株)米子営業所長、加納利浩氏による「エネルギー情勢と原子力発電の現状」と題
した講演会を開催し今後の省エネ対策等について意見交換を行った。
参加者 地区本部・各県会員 46名 |
平成24年 5月31日
~6月 1日 |
5月31日付けで特例民法法人、(社)鳥取県ビルメンテナンス協会を解散し、翌6月1日
付けで「一般社団法人鳥取県ビルメンテナンス協会」設立の登記をした。
正会員 23名 |
平成28年10月 3日 |
中国地区全体協議会を米子全日空ホテルで開催し、全国協会杉山事務局長による「会員拡大に向けた地区協会との連携事業について」の講演及び特別講演として、ライブ漫画家、松村宏氏による「息抜こう、笑ってみんなで生き抜こう」」と題した講演会を開催した。
参加者 地区本部・各県会員・賛助会員 63名 |